日本バプテスト連盟 所沢キリスト教会

埼玉県所沢市泉町のプロテスタントの教会です

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エゼキエル書2章1~3章15節 「主の言葉を語り続けよう」 4月13日

2016-04-13

第一次バビロン捕囚期から活動を始めた預言者エゼキエルの召命の箇所です。主がエゼキエルを選び、主の霊(力)によって立たされていきます。その働きは孤独で厳しいものであり、苦境に立つことも意味します。さらにその働きは「効果・成果」は期待できない世界ですが、ただ語り続けることが彼の使命でしたが、その中で彼が語り続けるためのエネルギーは「神から与えられる言葉」です。それは神の悲しみと呻きと嘆きの言葉。でもその言葉が人に受け入れられる時、その人も、エゼキエルも救いを与えられるのです。神の悲しみの言葉は「蜜のように口に甘かった」。きっとそれは人を救おうとする神の愛の広さと豊かさに起因するものなのでしょう。そして彼は主の力を受け民の中に歩み出すのです。

<日本バプテスト連盟 教会・伝道所を覚えての祈り> 福生バプテスト・キリスト教会。福生市加美平1-24-17にあります。祈りの課題は以下です。①教会員の病のいやしのために。②老人ホームにいる教会員のために。③求道者の救いのために。牧師・稲見元彦。

ヨハネによる福音書12章27~36a節 「光を求めよう」 12月17日

2015-12-17

地上から「上げられる」とは十字架上での死を意味します。この世の常識でいえば、イエスの受難や十字架上での出来事は「栄光」とは思えません。勝利や成功こそ人の「栄光」と言われます。しかし、ヨハネは人が羨み、光輝く世界だけが栄光ではなく、暗闇を担いつつ、苦しみもがき、しかし、その暗闇の中でこそ輝く光こそ、イエスの「栄光」と語るのです。それは失うことによって得る、命の大逆転。敗北は栄光へ、悲しみは勝利へと大転換するその恵みが上から与えられるのです。「光あるうちに歩け」。それは今の時、あなたがまだ生かされている時のことです。光を失う恐れを知っている者は、今、主の光を分けて頂こう。キリストの光があなたの道を照らすように。

<日本バプテスト連盟 教会・伝道所を覚えての祈り> 岡山バプテスト教会。岡山市北区田町1-7-28にあります。岡山駅から歩いても生ける距離で、近くには川や並木があり、とても光景の良いところです。この教会の梅田牧師は私も尊敬する牧師(男性です)の一人です。教会の建物はとても古く味わいがあります。昔から、岡山大学の学生などが多く出席していましたが、今はどうでしょう。クリスマスにはぜひこの教会をお訪ねください。教会の祈りの課題は以下です。①現行憲法を遵守する教会を目指す。②3・11を記憶する教会を目指す。③連盟・連合と協働する教会を目指す。牧師・梅田 環

使徒言行録7章23~29節 「ステファノの説教より」 6月15日

2015-06-15

先週の月曜も同じ個所を読みました。なるほど、ステファノの説教を小刻みに読めということでしょう。モーセは「自分がイスラエル人」であることを知り、その自分が、イスラエル人を抑圧している側にいるという板挟みに入ります。イスラエル人を虐待していたエジプト人を殺す、しかし、イスラエル人にも彼は受け入れられません。「板挟み」になることは私共もあります。それは不安定な状況であり、生き辛いこと。モーセは手順を間違えたのでしょう。中途半端に立つ時にはうまくゆきません「板挟み」になる前に自分の立場を自ら決断すべきでした。モーセは立場を見失い、ミディアンの地に逃げます。「負い目」を背負い、立場が定まらないモーセ。その姿は私共の経験と重なります。

<日本バプテスト連盟 教会・伝道所を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟 大富キリスト教会。宮城県黒川郡富谷町日吉台にあります。仙台市のベッドタウンでしょう。昨年くらいから小田衛牧師が就任されました。協力牧師の金子純男先生は連盟の理事長など、連盟のリーダーとしてよい働きをされた先生です。高齢にはなられましたが、教会と神さまに仕える思いにいつも感謝しております。

7月13日週報巻頭言「牧草」より 「礼拝を立てる~祝祷~」

2014-07-12

▲7月から創世記のアブラハム物語に入ってきました。神の招きの言葉を聞いたアブラハムはその言葉に応答し、主の約束(まだ受け取っていない未来)を信じ、主の言葉に賭け、新たな歩みを始めていくのです。その約束は「祝福となる」ということです。▲「祝福」というのは聖書の中で実に広い意味を持っています。「祝福」とは、神が人に関わる道であり、和解へと導き、命を守り助け、時には痛みを通して学びを与え、命を励まし、逃れる道を備え、時に神との格闘を与え、どんな時にも希望を与えるものです。▲礼拝の終わりで一週間の旅の最初にあたり「祝祷(しゅくとう…祝福を祈ること)」を牧師が代表として祈ります。▲私がまだ美顔だった少年少女の頃、牧師が「あおぎぃーこいねがわくは…」との祝祷を私は「青い恋願う」と理解していて「神様、私も青い恋をしたいです!♡」(昔は「恋は水色」と言われていた)と願っていました。▲正しく「神を仰ぎ、請い願う…」と知ったのは成人してからです。▲ちなみに祝祷の時、牧師が手を上げるのは、何か偉そうにしているのではなく、聖書にもよく出てくる祈りの姿勢であり、「降参」の意味です。▲つまり、人間には何の力もない、という無力を示し、神様の御心に従うことを示しています。▲ほとんどの教会では牧師やその日の説教者が祝祷するのですが、米国の某教会では信徒の方が交代でとか、今日は「青年」、今日は「少年少女」などと交代する時もあるようです。▲「祈り」なので決して牧師だけと限定することはないでのしょう。勿論それらは教会が選びとるものです。▲祝祷の言葉はⅡコリントの最後にある「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり(神様とあなたの心の通い合い)が、あなたがた一同と共にあるように。」との言葉が基本です。▲また讃美歌の一つのジャンルである「頌栄」(しょうえい)は、父・子・聖霊なる三位一体の神をほめたたえる内容の讃美歌で通常はシンプルなものです。神の祝福を祈られ、それぞれがまだ受け取ってはいない、未来への旅に希望をもって向かうのです。(坂本 献)

3月9日所沢教会週報巻頭言「レント(受難節)」に思う

2014-03-08

▲教会の暦ではイースター(復活祭)前の40日(日曜を除く)をレント(四旬節、大斎節<斎は断食のこと>、受難節と言い、灰の水曜(今年は3月5日)から始まりました。▲カーニバル(謝肉祭)という祭りが世界中で行われますが、カーニバルはラテン語のcame vale(肉よさらば)という意味で、レントの前に踊り歌い、肉を食べ、灰の水曜の前日に終了します。▲「灰の水曜」は「人間とは塵・灰であることを覚えよ、悔改めよ」と額に灰で十字架を描き、それから40日はイエス・キリストの生涯と受難、復活を思い巡らしつつ信仰を見つめ直す時としたのです。▲そして受難節は肉食や好物を控えたり、一日一食を断食してイエス・キリストの歩みの追体験をする人もいます。▲40日というのはイエスの公生涯の始まりに40日の断食をしたことに根拠を置くものであり、キリスト教においては歴史的に「時間」は神様の創造の賜物(恵み)と捉えて、私たちが自由に使っている「時間」を神様にお捧げするという考えが生まれ、その中でイエス・キリストの受難と復活を覚える期間を定め、恵みの想起、十字架のイエスを思い巡らし、自らの生活が少しでもキリストに近づくのを願って行うのです。▲とはいうものの、私は断食など実践したためしはありませんが、この期間に福音書を通読することなどは決して無駄ではないとは思います。▲今年のイースターは4月20日になります(イースターの日付は毎年異なります。春分の日の後に現れる満月の次の日曜です)。▲私どもと共に生きたキリストが、再び私どもと共に生きるためよみがえられたキリストを迎える。しかし、その前に、大いなる苦難と痛みがあったこと、イエスの十字架上での絶叫は、私どもの叫びを共感・代表するものであると思うのです。(献)

2014年1月19日週報巻頭言:「朝霞教会との相互訪問礼拝に寄せて」

2014-01-18

▲本日は日本バプテスト連盟「北関東地方連合」による「相互訪問」プログラムで、2013年度は所沢教会は日本バプテスト連盟朝霞教会キリスト教会と相互訪問して礼拝を持ちます。本日は「朝霞バプテスト教会」の江川博和牧師が宣教してくださいます。朝霞教会と江川博和牧師についてご紹介したいと思います。▲朝霞、今はほとんど知られなくなりましたが、戦後、米軍基地がおかれ、米兵相手の雑貨屋、飲食店、ナイトクラブ、バー、スナックが軒を連ね、日本の上海と呼ばれた歓楽街が形成されていました。ここから朝鮮戦争とベトナム戦争では兵士たちが戦地に送られ、朝霞では兵士と日本人による子どもが多く生まれました。▲残念ながら、その中で厳しい境遇におかれた子どももいました。その子どもたちを見守るため、江川博和牧師は教会附属の「白百合園」を開設し、混血児を含む地域の多くの子どもの面倒を見、朝霞キリスト教会は、事情のある方がたの「駆け込み寺」のようになりました。▲余談ですが、「白百合園」の卒園児には歌手の故本田美奈子さんもいました。それを聞いて思い出したのは彼女の歌“Amazing Grace”です。急性骨髄性白血病で入院していた本田美奈子さんの(結果的に最後の)CDアルバムのタイトル曲にもなっています。以前はそれほど関心をもって聴いていませんでしたが、彼女が「百合学園」で歩んだことを聞いて、何かつながったような思いがしたのです。彼女が病院で最後に歌ったアメイジング・グレースはYou Tubeなどで聞くことができます。▲江川牧師が朝霞に半世紀以上居りつづけたこと。夏、私が朝霞教会をお訪ねした時の子どもたちの笑顔と重なって、深い命の意味(みむね=御旨=神様の心・思い)を思ったことでした。(献)

Ⅰヨハネの手紙3章11~18節 「死から命へ」

2013-11-29

愛することのない者は死んでいる、つまり、生きていることは愛することです。主の姿を見ることはできませんが、主イエスはその愛のゆえに、今も生きて働かれています。「愛」ということは今ここで描き尽くすことはできません。でも主イエスの愛は「命がけ」でした。「兄弟のために命を捨てるべき」と強い言葉ですが、むしろ次の節に記されている、「同情」「誠実」が愛の行動であり、それは自らが何かを犠牲にする世界かも知れません。「愛し合う世界」、それは「命の世界を築くこと」です。「愛が死んでいる」、「愛する力の不足」を私共は感じます。主の力を受けて、何が「愛」であるのか祈りつつ、今日の歩みをなしたいのです。

<日本バプテスト連盟 教会・伝道所を覚えての祈り> 日本バプテスト連盟ろう伝道委員会 「ろう」者の研修会や、手話の研修会、「ろう」者に優しい教会環境や社会環境への情報発信や提言などを行ってくださっています。当、日本バプテスト連盟所沢キリスト教会でも手話通訳のできる方がいます。

エステル記2章1~14節 「エステルと呼ばれた孤児ハダサ」

2013-09-19

ワシュティ妃を追い出したクセルクセス王は、新たな王妃を選ぶコンテストを行います。エステルは孤児でした。両親は紀元前五九七年頃バビロン軍によって殺されたのかもしれません。選抜されたエステルは一年間美容を受けます。「ミルラ」とは「没薬」と同意でコンミフォラ属の樹木から採取されます。ミイラの作成にも使用されました。鎮痛・鎮静や月経促進にも使用されるとの事。さて、今日はこの箇所から何を語りましょうか。王の「選び」はその美貌によるのかもしれません。しかし「主の選び」は異なるのです。パウロは言います「世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれた」と。主がこのような私を選ばれ、神の子と導いて下さることを思い起こしましょう。

<日本バプテスト連盟 所属教会・伝道所の祈り> 八幡バプテスト教会(北九州市八幡西区、黒崎駅より徒歩6分)

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※このホームページ内の聖句は すべて、『聖書 新共同訳』: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee  of The Common Bible  Translation (c)日本聖書協会  Japan Bible Society ,  Tokyo 1987,1988 から引用しております。